1月6日の記事

2019年01月06日

新年あけましておめでとうございます。
町内の皆様本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
昨年の一文字は「災」という一文字でした。
今年は災転じてとなす年にしたいものです。
箱庭の里奥嶋の集いは国や県、市から助成金を頂いて集落の環境整備や活性化活動に使わせて頂いています。 この助成事業は昨年から期限付きの助成事業から法制化され継続事業となり、又新年度(2019年度)からは活動組織の一元化を目指して近江八幡市役所で活動の取りまとめを行うこととなります。 当町もこの一元化に参加をしたいと思っています。
 活動そのものは今まで通り集落が行います。 今年も皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
1月6日の記事



Posted by 箱庭の里 at 13:01 │Comments( 1 )
この記事へのコメント
仁平の牛小屋と柿の木があった先の
奥津島神社の鳥居。

今年は戦時中の疎開先であった
祖父・北川好太郎
(旧姓:奥西好太郎)の実家があった
奥西仁平家で生れた
父・北川好夫の喪中で
御詣りに行けませんが、
よくここで、
安土の郵便局に居た
交通事故で急死した
父の従兄弟の源吾さんと
子供の頃に遊んだ話を聞いていました。

かくいう私も、
その子供で再従兄弟の
治兄さんや崇兄さん、
それに同い年の加奈ちゃんと
まだ、祖父・北川好太郎の兄である
源治のおっちゃんが健在だった
子供の頃に遊んだ記憶があります。

曾祖母・奥西きよ
(旧姓:北川の 北川きよ)の
嫁ぎ先で生まれ、
その曾祖母・奥西きよの
70回忌の年に当たる
昨年末に逝ってしまった
父・北川好夫。

仁平の家と牛小屋は人手に渡り
既に無くなってしまったものの、
奥津島神社の鳥居の目の前にあった
あの柿の木だけは
今も残っているようなので、
あの柿の木の下で今頃、
父・北川好夫と
奥西の源吾さんとが
語り合っているように思えました。

父・北川好夫の満中陰と納骨とを
浅小井の菩提寺で
二月三日に執り行う予定なので、
死を穢れとする神道の
奥津島神社の境内に
立ち入る事は出来ませんが、
その前後に父・北川好夫が生まれ、
祖父・北川好太郎が生まれ育った
島の町並みを散策してみようかと
思っております。
Posted by 奥西きよ曾孫・北川衆耕 at 2019年01月06日 13:48
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